いま、別の映画を観ています(「リプリー」関係)

もうすぐ就寝時間ですが、いま、映画「リプリー」に少し関係のありそうな、別の映画を観ています。
忙しいし、あんまり元気じゃないんで、特に目がすごく疲れてるんで、けっこうツラいです。
しかし「リプリー」より画質が良くて、新しい雰囲気の作品なんで、さほど苦痛ではありません。


このブログは、今のところ、映画の感想みたいな記事が一番多い。
これは、故意にですが、これからもし、別の話題をブログに書くとしたら、もしかしたら、もう1つ、別のブログを立ち上げるかも、しれません。

それというのは。
わたしは、かつて、自分が映画をよく観ていた頃、こんな風な生活をするようになるとは思わなかった。
それでも、今でも、当時、普通の日本人よりは、よく映画を観ていた、と思う。
「よく観ていた」というのは、ただ漫然とではなく、製作者たちの意図を、なんとなく受け止めていた。


かつて、わたしは自分が聖書をしっかり読むようになった時期について書いたことがあったが、
それは、わたしが子供の頃から特に興味のなかった映画をよく観るようになったのよりも、かなり後のことだ。

つまり、わたしは先に、映画をよく観る習慣がついていた。
その後で、またか、という感じで、今度は別の対象に興味が移った。
それが、聖書であった、ということだ。


わたしの聖書の読み方は、だから、ある映画を鑑賞している際に、
どこかの別の映画に元ネタがありそうだ、 とか、
この登場人物の名前は、どういう意味でつけたのか? とか、
そういう見方をしているのと、特に変わらない。
ただ、映画のほうが、明らかに、製作者の意図がわかりやすい。

そのため、聖書の話は、映画と同じブログに、だらだらと書くのは、どうかなと思う。
まさに、映画は映画、聖書は聖書、じつは、大して変わらない。
だけども、聖書の話の時には、明らかに聖書の元ネタになったものが、映画などとは世界が違う。
映画の場合は、古い映画を元ネタにした作品が多くて、映画というのは娯楽なんだなあ、と思う。


聖書の場合は、宗教とか、戦争とか、もっと人間の歴史に深くかかわる分野が元ネタにあるから。


とりあえず、映画については、さらに難しい話を、このままブログに書くつもりは、ありません。
もう、聖書の講座みたいなのを書きたいわたしが、わざと映画の話をしていることは、何度も述べました。
しかし、あんまり信ぴょう性がないというか、自分でいうけど、あんまり自信はない。
やっぱり、聖書も元ネタがしっかり揃っていないと、まるで誤読をする可能性が高い。
今回わたしは、古い映画を観ていて、それを痛感した。


映画は、古い映画をいじっていて、大したことはしていない。
これは、映画の製作者さんたちに、直接、真偽を確認してください。
ほぼ間違いなく、ウソだという人は、いません。

それで、古い映画などをよく知っている、町山智浩さんのような映画評論家さんならば、
これは当然、今わたしが視聴している映画や、「リプリー」などの元ネタは、はっきりわかると思う。
わからなかったら、彼らは廃業だ。
それくらい、映画の元ネタは、かなり、はっきりわかるように作ってある。


やっぱり、業界ネタというか、内輪ウケ。
これが、真実。
だけど、それを業界人だけで使いまわして、一般の視聴者を蚊帳の外に置く、
という従来のやり方は、なんか、違う気がする。

また、町山さんについて何度も言及して失礼だが、
彼は、たぶん、「リプリー」を観ても、わたしと同じことは、言わない。
それで、わたしは、自分は映画評論家になれるな、と思うようになった。
つい先日から。


これは、町山さんみたいな、人の良さそうな、あたりのいい、楽しそうな評論家さんを、たまたま動画で最初に拝見したから、そう思ったのではある。
たぶん、気難しそうな、淀川長治さんみたいな、古いタイプの評論家さんだったら、そんな勘違いは、していない(笑)。
町山さんは、楽しそうに、映画の解説をなさる。
わたしはそれを、楽しんで拝見した、ということだ。
見てて楽しそうだから、自分も気楽に書いている、っていうことだ。


だけども、
映画は、大した題材があるわけでもなく、
それでも、プロの評論家さんが、思わずハズしてしまう。
だから、何でなのかな?  って。
これは、謎だ。
わたしは明らかに、ほとんど映画を知らない。

聖書は、同じことが言えると思う。
だけど、やっぱり、そのへんの学者さんより、ずっと読めてると思う、聖書。

映画は、元ネタとなっている作品を、たまたまわたしも知っている場合は、
「ああ、これはあの映画が元ネタだな」
と、こう簡単にわかる。
今みている映画も、まだ冒頭30分ほどしか観てないんだけど、絶対に、「リプリー」にも、このあと感想を述べる予定の映画にも、関係がある。

ただ、こんな古い映画の連鎖が続いていたら、
わたしみたいな、観た映画の本数が少ない人は、ぜんぜん元ネタがわからないと思う。
それがネックですね。
たぶん、町山さんと同じくらいか、あるいは、せめて彼の半分ほどでも、わたしが映画を観たことがあったら、この国は、わたしが素人のフリして延々、適当に映画の解説をしていた。
つまり、わたしにとっても、あまり映画に詳しくないのは、幸運だった。
もしたくさん知ってたら、「あの映画はああで、この映画はこうで」と、適当に喋っている。


今回、古い映画の連鎖について、わたしのほうは、もう閉口していて。
これ以上は、古い映画を観るつもりは、ない。
だから、映画の評論家さんは、相当に映画に詳しくないと、なれないと思う。


わたしは、このあと、「リプリー」と、「セブン」のことを書く予定。
さらにその後も、数作、映画について書く予定。
このうち、ぜんぜん他の映画と関係がなさそうな作品は、無い。
すべての映画が、なんらかの関係でつながっている。

もう、こういう、ネタの取り方みたいな話は、ハリウッド映画の常識みたいだから、あんまり驚かないが、わたしはこれまで、古い映画は観てない作品が大量にある。
もっとたくさん作品を知っていたら、さぞかし、「この映画は…」とか、がっかりする度合いも大きいと思う。
何というか、ただのマネというか、パクリまで言わないが…自作に影響のない映画は無いんでしょ? と、映画の監督さんとかにツッコミ入れそう。
どっかの映画に影響を受けて作ってる作品ばっかりだ。


映画の監督さんになるほうが、評論家になるより、大変だと思う。
わたしはこれまで、監督さんが偉そうにしているのを見て、なんか失礼なヤツやなと思っていたが、違ったな。
彼ら、確かに、文筆業なみに頭を使って仕事をしてると思う。
だけど、ヲタクなだけだよ、彼らは。

なんというか、哲学者とかも変わらないが、やはり、哲学のほうが、もともと古い哲学書とか難しいからね。
哲学を専門にする人が、一番苦労するだろうな。
哲学ヲタクが、哲学者になる。
ということで。
わたしは、映画は詳しくないけど、町山さんの解説を見てたら、自分も映画評論家になれそうだな、と思う。
古い映画は、ぜんぜん知らない。
最近の映画も、まったく知らない。
無謀ですな。 笑
それでも、わたしが知っている映画を観たら、聖書の解読と大して変わらないな、という感想。


町山さんは、このあと、どうなるのかな?
たぶん、誰も彼を知らないから、誰も彼にこういう話は、しないと思います。
ただ、淀川長治さんも、そうとう勘違いな映画の解説をしていたみたいだし、あんまり言わないほうがいいかな?
町山さんは、ただヲタクなだけで珍重されると思います。
だけど、わたしは、何を言ってるのかわからんバカに見えるだろうから、不利。
これは、絶対。
ただ、古い映画を知ってたら、映画なんて、大したもんじゃないな、と思ってしまう。


これは、後で消す記事です。
だけど、このあと、わたしがどれくらい、映画を観て、感想を書く気になるか、によって、
わたしが映画評論家風に(笑)映画の感想をたくさん書くのか?
それとも、やっぱり、途中でやめてしまうのか?
が、変わってきます。


う~ん、映画も派閥みたいなのがあるからな。
今わたしが観てる映画は、その筋の作品ばかりだ。
逆に、まるで違う雰囲気の作品に当たったら、元ネタとかまったくわからないだろう。
困るのは、わたしじゃないけれども。
わたしは、こうやって、中途半端な物書き風になる。
それで、聖書の話も、だんだん、自信がなくなって、書く気がなくなる、という予感。


さて。
まあ、ブログに書く程度の自信がある話は、書くかもしれないです、聖書の話。
前に古いブログに書いた話は、そうとうカンタンなほうで、わたしとしては、かなり自信がある。
後は、聖書をまだ読んでないから、話ができない。
古い映画と、古い聖書、どっちがむずかしい?
聖書。
映画は、誰かが解説してくれるわ。
わたしは、自分の存在価値があるとしたら、聖書の解読について、自分の知っていることを、どれだけ普通に理解しやすく書けるか、だ。


しかし、聖書のネタが関係あるのなら、西洋人のような映画は、作れないと思うな。
どうも、何が兄弟の殺し合いなのか?
とかね。
もう、ずいぶん誤読が進んでいるみたいですよ、聖書の世界は。
もう、映画は、作らないほうが、いいかもね。
まったく、聖書と関係のない話を、たくさん作っておられます。


ただ、日本人には知られていないネタとして、
古代ギリシャは、西洋人には、普通に受け入れられている、というか、理解がある人が結構います。
わたしは、前に古いブログで書いたけど、日本人は、「オトナがバビロンだ」と思い込んでる人ばかりで、どうでもいい。
西洋人に、失笑されると思います、日本人は。
だけど、西洋人にも、いわゆる「ボーイ」の問題があって、彼らはボーイを笑う傾向がある。
その際に、一人のボーイを集中攻撃するわけではないのが、日本人とは違うところかな。

アメリカ人なんかだと、芥川龍之介のほうが、ふつうに映画業界の人に見えると思うな。
誰も小林秀雄とか、相手にしない。
今度、そういう感じの映画を見つけたから、このブログに書きます。
日本人、笑われてますね、アメリカ人に。
わたしは知らない。
日本人は、誰もコネがないみたい、ハリウッド映画に。


映画の評論家になったら、たくさん有料記事が売れるかな?
なぜ、誰も読まないのかな、一番カンタンに、映画の元ネタとか、わかりやすい見方を書いてるのにな?
ただ知られてないだけだけど、わたしが。

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