映画の話は、したくない

前に、「映画の話は、書く気がなくなりました」という記事を、書いています。
わりと最近です。
「クリムゾン・リバー」の原作本を読み始めた頃だっけ?


「クリムゾン・リバー」の本は、図書館で借りたまま、貸出延長手続きをして、あと1週間ほどで返却予定です。
だけど、今は疲れていて、わたしのせいじゃないけど、体調もあんまりよくないし、それもあるけど、いろんな理由があって、聖書の話も、映画の話も、書きたくない。


映画「セブン」は、今でも有名みたいだし、この前、町山智浩さんという映画評論家さんによる作品解説の動画を見て、「こんな作品、ふつうに解釈してもムダなんだろうな」とは、思いました。
町山さんは、この作品に影響を与えたアート関係の話とか、そういう技術的な話が主で、特に作品の背景というか、作り手の意図も、そこには含まれていますけど、物語の筋の解釈とか、そういう話は、ほぼ出てきませんでした。


逆に、わたしが思うに、この作品は、一般視聴者には、謎解きのゲームに見える、だからこそ、映画の評論家さんのほうは、それを邪魔しないで、自分たちは、技術的な話をして済ませる、といった配慮なのかもしれない。


そうですね、この映画、今でもその辺の個人ブログで、謎解きに挑戦している一般の人がたくさんいるみたいです。
そういった個人ブログの文章を読ませていただくと、ますます、この作品に何か解説を加えるじゃないが、自分で何かを書く気が、なくなってきました。


もう、自分で、偉そうに書いてるつもりはなくても、あちこちの個人さんの文章を読むと、イヤになってきた。
どうせ、わたしの書く話のほうが簡単に見えて、誰でも知ってるように見える、と思う。
ところが実際はその逆で、脚本家さんが、万一このブログを読んだら、むしろ、彼らのような人のほうが、イヤになると思う。
どうせ、ふつうの脚本家は、一般の視聴者には自分たちの意図を読み取ることなど出来ないと思っているのだ。
だから、わたしは普通に聖書を読むような感じで、軽く、聖書を元ネタにした映画の脚本などを、どういう読みかたをするか、論じてみた。


映画には、セリフというのがあって、誰も読まないのではなく、まず脚本家が頭の中で読んで、それから役者が実際に声に出して読む。
これは、言葉の感覚を知らない人は、脚本家にはなれない、ということだ。
セリフの中に、言いたいことがあるとは限らない。
しかし、たいてい、役者の話すセリフには、それなりに意味があって、彼らがそれなりに脚本家の意図を言い表している。


ところが、町山智浩さんのようなプロの映画評論家さんだけでなく、その辺の個人ブログで映画の感想、謎解きなどをしている一般の人たちね。
彼ら、なぜか、映画に出てくるセリフには、無関心だ。
スゴく不思議。


だけど、彼ら、わたしを非難せず、自分たちは間違っていた、とか、そういうことになるかというと、それはなさそうだ。
彼ら、ただ、うぬぼれているだけだ。
というか、わたしはまず、作品そのものをしっかり視聴する。
それから、作品の意図を考える。
これは、常識だと思う。


だけど、作品の背景とか、つまり、製作スタッフの裏話とか、そういう自慢めいたトリビアとか、そういうのばっかり、延々きかされると、これは、なんというのか?
もう、一種の裏話、秘話の暴露、というか見せびらかし、そんな感じだ。
だから、彼ら、作品の解釈など、おざなりというか、どうでも良さげ。
ただ、知っていることを自慢しているだけ、っていう。


わたしは逆に、知らないことはいくらでもあるけど、製作側の意図は、そういう誰も知らないような秘密の話からではなく、個々の作品の中に、おのずとにじみ出ている、という考えがあり、というか、そうでなくとも製作裏話なんか知り得ないわたしが、そんなことを考えてもムダで、ただ、普通に解釈するしかない、っていう。


わたしは違うやり方でやる、と言っているのではなく、むしろ、知らない人がわたしのような感覚で作品を読むのだ。
製作者は、もちろん、わたしを笑う。
それは、知らない人には絶対にわからない裏話っていうのは、あるから。


だけど、それは、人間のやり方で、間違っている。
彼ら、だから、聖書を読めないのだ。
誰も、聖書の筆者たちとは、コネなんか、ないでしょう?


わたしは逆に、だから、自力で聖書の秘密を読む訓練ができた。
英語の勉強なんか、映画の解釈には、必要ないぞ?
ただ、耳の悪いわたしが、負け犬の遠吠えめいた、ウソをついているのではない。
もちろんわたしも、英文科卒ですから、たぶん、普通の日本人よりは、現実に、英語の聞き取りもよく出来る。
ただ、わたしの得意なのはイギリス英語で、そのため、ハリウッド映画でも、なぜか、イギリス出身の役者のセリフだけ、はっきり聞き取れる。
不思議なものだ。
ジュード・ロウとか、出身地は知らんが、彼の英語は、アメリカ人には相当なまって聞こえると思うが、わたしには逆に、とても聞き取りやすい。


それはどうでもいい話だが、
とりあえず、映画は、セリフが聞き取れたら、正しい解釈ができる、っていうもんでは、ない。
わたしは、日本語字幕だけで、作品の解釈をする。
まあ、違ってて当たり前、というか、もし日本語字幕のほうに誤訳があったら、作品の解釈も間違ってしまうのは、当たり前。
しかし、そんなもん、よほどバカでないかぎり、誰でも聞き取れる映画のセリフを誤訳する人は、いないでしょ?


さて、フランス語で書かれた哲学書なんかは、知らないけど?
たぶん、誤訳してる人、いますよ、フランス人の哲学者は、難しい本を書く人が多いからな。
日本人の頭で、正確に翻訳できるわけがない。
ははは。


それで、映画はさておき、フランス語の哲学書は、たぶん、日本人は、ぜんぜん理解できないと思う。
わたしは、それで、邦訳を担当している学者さんは、後の世で非難されることになるんじゃないかと、思います。
そうですね、内田樹さんとかね。
たぶん、わたしが言っていることがわかる人は、物知りで、英語もできるような人ではなく、
たとえ何も知らなくても、世の中、不正を行ったり、間違ってるくせに偉そうにする人には、内田さんみたいな人が多い、っていうのを理解できる人だ。


それで、映画の解釈は、ちょっと違う意味で、町山智浩さんみたいなのは、早く引退したほうがいい。
彼は、そうでなくとも、頭が悪そうな感じなのだ。
動画を無料でネットで公開しているんだから、知っている人、多そうだ。
彼は、かなり、聖書学者の本を知らずに聖書を読めるフリをする素人っぽい。
「わたしはバビロン♪」、こんな感じだ。
もちろん、彼本人は、バビロンのつもりでいるわけでは、ない。
というか、たとえそうであっても、作品の解説にまで、そんな話は、折り込まない人だ。


さて、映画の解釈は、ちょっと精神分析的な手法でする人が多いのかな?
町山さんのは、そんな感じを受けましたが?
どうかな~?
フロイトみたいなのは、もう古いと思うよ。
あっ、シャレじゃなくて、ですね(笑)   (フルイト…笑)


ああ、ジジェクみたいなのも、いますしね。
彼ね、映画の製作者が彼の本を読んだら、失笑するような、そんな話ばっかり、本に書いて出版してるんですよ。
なんか、小難しい理屈をひねくりまわしてね、とても頭のよさげな、キレの良い文章でね、延々とね。
ど~~~~~っっっっっでも、ええんじゃ~!!!
って、感じの話を、本に、書いておられます。


町山さんのほうが、まだ、いい人そうなんで、彼は、敵は、あんまりいないと思う。
だけど、たぶん、インテリの学者さんなんかが、彼の映画評論を見たら、笑うんじゃないか?
そうです、ジジェクなんかも、そうだと思います。
だけど、町山さんのほうが、普通の人には、まだマシだと、思うよ!
ジジェクはね、イヤなヤツなのがわかるだけ、っていうね。
あの人もね、いつか恥をかく。
だって、バカっぽいのは、誰でも、ジジェクもおんなじ、っていうね。
もう、わかると思うんですけどね、映画の製作者は誰も、ジジェクみたいなこと、考えてない、っていうかね。
知らないな~。
ジジェク、ずいぶん前に読んだっきりだからな。


さて、映画の評論は、このように、映画ヲタクの町山智浩先生をはじめ、
スラヴォイ・ジジェクみたいな、いずれ劣らぬ精神分析派さんが、控えておられます。
しかし、わたしはそういうのはどうでもよくて。
ただ、映画の解説なんか、しなくていいんじゃないの?
って、極論に、なりそう。


疲れた。
もう、どうでもいい。
映画の製作者のほうが、疲れてそうだけどな?
映画なんか、頭がいい人が作る、みたいな感じがするだけで、そうでもないですよ。
だって、聖書を元ネタにしてるなんて、考えられないほどの、乖離っぷり。
だれも、聖書、ちゃんと読んでなさそう。
これは、映画「セブン」について、個人的な感想を書く前に、一言、書いたほうがいい。


「セブン」は、日本人の映画製作者には、逆立ちしたって、作れない映画。
だけど、映画だからじゃなくて、聖書の読みかたが違うから、わたしは過去に、この作品を批判しました。
彼、この作品の脚本家さんね、先にタワーレコードだっけ? どっかの店員さんだったんですって。
町山さん、ありがとうございます、わたしには知り得ない情報でございます。
だけどね、だからじゃなくて、彼、ただ、聖書の深読みが、中途半端なんですよ。
だから、どうやって、こんな作品を? って、首をかしげるような作品を、作っちゃった。
製作費が高くても、どうしようもないです、作品のカナメは、脚本だと、わたしは思うんで。
だから、作品をムダにする脚本は、書かないほうが、いいです。
わたしは、脚本家は、もっと聖書を読めるべきだと、主張しているわけです。
彼ら、頭脳商売ですが、だからといって、普通の人より頭がいいわけではない。
だから、一般のわたしに、「この作品は、たぶん、こういう意図で。」とか、暴露されるわけです。
これは、誰も知らないブログだから書くだけで、もっと有名人だったら、そんな姑息なマネ、しませんよ、わたしは。
だけど、わたし、脚本家さんが、たくさんお金をもらって書いてるホンより、もっと難しい話をまじえてブログに書いてるのに、タダ働きです。
これって、おかしい。


ジジェクも、町山さんも、内田さんもだな。
彼ら、みんな、おかしい。
誰も、まともに聖書よめない。
わたし、彼らより、真面目に聖書をよんだ。
だから、彼らより、もっと聖書が読める。
作品の解釈なんて、いいじゃない。
だって、作品そのものが、大したこと、やってないんですもん。
これは、どうしてこんなブログを書いてるのだ、と毎日のように、うつうつ、イライラしているわたしが、小言を言っている、っていう感じです。


わたしも素直なほうなんで、グチを書いてしまうだけです。
ええ、素直なわたしは、イヤな脚本を見ると、つい、書いてしまうわけです。
ええ、人をバカにしてるだけの脚本を見ると、「お前がバカなんちゃうか」と、思ってしまう。


この国はよく、右翼が左翼をバカにする、っていう構図を信じてるバカが多くて。
だけど、よその国では、その構図は、ちょっとおかしい。
わたしは前に、古いブログで、そういう話を書いた。
だけど、誰も読んでないみたいだ。
よその国では、堂々と赤軍派を…じゃなくて、左翼を笑う人は、そういないと思う。
なぜって?
そうですね、国際的なテロリストは、なんとなく、極左みたいな感じの人が、多いもんでね。
そうです、アルカイダもそうですよ。
彼ら、旧ソ連と戦った過去があったのに、反米にひるがえって、反ソ連の象徴みたいなタワービルをぶっ壊した。
はは、誰でも、アカっぽいよね彼ら、って、笑ってる、っていうね。


そうですね、日本だけでしょ、「バカの壁」とかいって、右翼のテロ事件に見える、って言い張るのは。
そうね、バカはお前らだ、っていう、外国人の声が、聞こえてきそうですね。
日本人は、だから、鎖国してるのと、変わらないですね。
今に、クロフネがやってきて、ビックラこいて、みんな泣くんでしょうねえ。


そうね、そういう感じで、わたしには関係ない国だから、どっか国外で余生を過ごしたい、っていうのも半ばあるんだけど、
わたし、真っ黒の髪で真っ黒の瞳だから、外国人には、それなりに悪魔に見えるんですよ。
イギリスでもね、白髪のおばあちゃんが、びっくりしてわたしを凝視してたな。
ええ、そりゃ田舎町でね、窓から外をのぞいたら、魔女みたいな髪の毛をした若い女がね、わたしのことですが。
そうです、日本人なんて、いくらかわいくても、真っ黒の髪の毛でね、金髪のオバハンがたに好かれるわけがないっていうね。
わたしは、オトナだからっていうか、態度デカくて、頭も良さそうなコだったから、誰もわたしをバカにしなかったけど、普通の日本人は、顔も悪いし、外国人には、嫌われると思いますね。



えっと、話がめっちゃそれてきたので、このへんで。
映画は、もう、感想書くだけならいいけど、むずかしい話は、書きたくないです。
理由は、もう述べました。
町山さんの動画を、文章にして、簡単に紹介する、っていう仕事に、変えますか(笑)
それもいいな。


誰も訪問しないブログだから、もう、何も書かずに、やめようかな?
そうだな、ほんと、わたし以外、アクセスしてないみたい。
スッゴい気楽。
こんなラクなの、初めてかも?
ああ、町山さんの話を書いても、誰も来ないから、このあとも、ちょっと彼の話を書こうかな(笑)
あの人は、どういう仕事をしてたのか、もしかして、若い頃から映画ヲタクで、そのまま仕事をやってるのかも。
大学行ったのかな?


映画の解説者は、文学系の専攻の人のほうが、向いています。
というか、ラクです。
文学、小説とか詩とかね。
あるいは、哲学も、文学部だったりしますからね。
そういうところの人のほうが、映画の解説、できると思います。
小説の作品解釈とかね、そういうのをやるんですよ、文学科の人は。
知らない人は、ただのバカだと思って笑うんですよ、文学科を。
英文科っていうのは、イギリス文学やアメリカ文学の研究をして、卒論を書いて、卒業するんで。
だから、そういう人が映画をみたら、ちょっと知らない人より、考えて観てる、っていうだけで。


わたしの卒論は、アメリカの脚本家、テネシー・ウィリアムズの処女作でした。
はい、それで、だから、彼は、映画の脚本を何本も書いてますね?
そういう感じです。
わたしの場合、そのまま、映画の解説を仕事にしていても、おかしくなかった、っていうね。
これは、知らない人は、衝撃うけると思うんですけど。
いや、だから、英文科の人って、なにも、英会話の先生とか、英語を駆使するビジネスマンとか、そんなんじゃなくてね。
ただ、英語で書かれた脚本の研究をして、大学を卒業する人も、あんまりいないんで、もう言いませんけどね。
テネシー・ウィリアムズは、わたしが大学出る頃には、もう過去の人だったからね。
そんな人、知ってる人、あんまりいないですからね。
日本では、旧・劇団サンジュウマルっていうとこのオバサンが、たしか、テネシーの処女作のファンでね。
彼女みたいなのは、よく知ってると思いますよ。
「アオイバラ」とか作ってる人です、彼女、映画とかにも出演してますね。


そうそう、ワタナベケンさんが再婚したらしい、ミナミカホっていう女優さんは、若い頃、舞台でローラの役をやってました。
テネシー・ウィリアムズの処女作の、引っ込み思案で友達がいない、若い娘の役です。
わたし、お芝居を実際に見に行ったことがあります。
カケイさんが主演でね。
そうでしたね、よく覚えてますよ、わざわざ列車で海を越えて、よその地方の舞台を見に行ったんで。


あ、そういうわけで。
もう、むずかしい話かくの、イヤになりました。
誰も読まないから、こんなブログ。
訪問者が、ぜんぜんいないんです、しあわせだな。

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Category: 日記


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