エーコの『薔薇の名前』と平野啓一郎の『日蝕』は、全然違うけど

さっき、Wikipedia で、作家・平野啓一郎のデビュー作『日蝕』の説明を、読みました。
あらすじも、少しだけ読みました……後で原作を読む可能性があるため、ネタバレを避けました。

で、けっきょく、きのう寝る前に、ふと思いついた、先日死去したばかりのウンベルト・エーコの『薔薇の名前』と、平野啓一郎の『日蝕』との共通点、類似点ですが、残念ながら、ほとんどなさそうでした。


ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は。
1327年、教皇ヨハネス22世時代の北イタリアのカトリック修道院を舞台に起きる怪事件の謎をフランシスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムとベネディクト会の見習修道士メルクのアドソが解き明かしていく。
Wikipedia


平野啓一郎の『日蝕』は。
15世紀フランスを舞台に神学僧の神秘体験を描く内容。
1482年のフランス南部、神学僧であったニコラはトマス主義に傾倒してキリスト教と異教の古代哲学の融合を志し、『ヘルメス選集』の完本を求めてパリからリヨンへと赴く。
ニコラはリヨンで目的を達成することができず、司教からフィレンツェへ行きを勧められるが、その際に、ヴィエンヌの教区にある村落で研究を続けている錬金術師に相談を持ちかけるよう助言される。
Wikipedia


……とゆう具合に、舞台となるのは中世ヨーロッパで、いずれもキリスト教の僧侶が主役であり、異端審問、魔女裁判、といったオカルトっぽい仕掛けが登場する、ということくらいしか、共通点は、ないもようです。
日本人が書いた小説としては、こういう作品は珍しそうではありますが。
なんか、あらすじをちょっと読んだ感じでは、そうとうバカバカしい物語っぽかったですよ、この『日蝕』は。
そもそも、この小説に登場するような両性具有者は、聖書の世界には、関係ないですね。


『薔薇の名前』のほうが、やはり、考えて作ってある、という印象を受けます。
ただ、わたし、どちらも小説としては読んでないので、偉そうに感想を書けるはずもありません。
『薔薇の名前』の映画版を、観たことがあるだけです。


こんど暇があったら、『薔薇の名前』のほうを、邦訳でもいいから、読んでみようかと思いました。
この『薔薇の名前』は、ラテン語で書かれた修道士の手記のフランス語訳があり、その仏訳を手にした語り手がイタリア語でその手記について書いた、という設定のようです。
原著には、たびたびラテン語が登場するらしいですが、邦訳には、ぜんぶ日本語で書いてあると思いますので、ラクだろうな。
つまり、日本人は、英語もラテン語もできる外国人には、かなうわけがない、ということで。


『日蝕』が芥川賞を受賞した時の審査員の皆さんは、この作品の何を評価したのか?
よっぽど面白かったのか、ほかにふさわしい作品がなかったのか。
たぶん、平野さんがまだ大学生そこそこの若者だったから、受賞したんだろうと思いますが。
わたしも、本作を読んだら、ちょっとびっくりするのかも。

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Category: 映画と聖書


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