映画「白いカラス」:ちょっと問題

映画「白いカラス」について、先日から、少し述べました。

個人的な感想でしたが、ちょっと、深読みだと思う人が、いるかもしれないから、補足しておきます。


わたしが書いたのは、感想というより、作品の解釈の一つです。
もちろん、正しいかどうかは知りません。
ただ、あれくらいの映画だったら、日本の脚本家とかが観ても、だいたい、わたしと同じような受け止め方をするんじゃないかと思います。

だけど、日本の普通の観客が観たら、ふつうに恋愛とか、黒人問題とかを描いた作品なんだなあと思うんでしょう。
それは、映画がそんな話しか作らないから、仕方がないんではないでしょうか?



さて、今回は、聖書の解釈を交えた話をします。


この作品、「白いカラス」は、基本的に、聖書の話を元ネタに作られています。
それで、ただ作品を解釈しただけでは、あまり上手に読んだことには、ならないでしょう。
つまり、聖書の解釈を下敷きにして、誰をバカにしているのか、ということまで、理解しないと、意味がないでしょう。


そこで、この作品では、どの登場人物が、聖書の中の誰に相当するか、という、おはなしをします。
というより、質問します。


登場人物は、以下のとおり。

コールマン・シルク Coleman Silk  (アンソニー・ホプキンス)
フォーニア・ファーリー Faunia Farley (ニコール・キッドマン)
ネイサン・ザッカーマン Nathan Zuckerman (ゲイリー・シニーズ)
レスター・ファーリー Lester Farley (エド・ハリス)


さて、
上記の中で、わかりやすく、聖書の登場人物に模した人物がいます。
誰でしょう?
そうして、その人物は、聖書の中の誰を元ネタにしているでしょう?



欧米の人なら、すぐにわかるんじゃないかと思いますが、聖書をあまり読まない日本人には、よくわからないと思います。
この答えは、ブログには書かないと思うけど(笑)



さて、答えの代わりに、ちょっとした元ネタというか裏話を。


コールマンの名前は、「シルク」
これは、絹ですね。
この名前は、黒人一家のファミリー・ネームだから、特にコールマンだけに意味を持たせることは出来ない。


「フォーニア」のほうは、
イギリスのロンドンに、「フォーニア・ストリート(Fournier Street)」というのがあります。
綴りが違うから、関係ないかもしれないが、この「フォーニア・ストリート」は、
「ジョージア王朝時代初期に作られた優雅な通り。フランスから迫害を逃れてきたユグノー派の絹織物職人のコミュニティーが拡大してできた通りで、やがてこの成長産業の中心地となる。」(https://www.risvel.com/news/664


…と、ここでも、「絹」が登場します。

この「絹」は、ヨハネ黙示録の第18章「バビロンの滅亡」に登場します。

18:11 地上の商人たちは、彼女(=バビロン、引用者注)のために泣き悲しむ。もはやだれも彼らの商品を買う者がないからである。
18:12 その商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻の布、紫の布、絹地、赤い布、あらゆる香ばしい木と象牙細工、そして、高価な木材や、青銅、鉄、大理石などでできたあらゆる器、

(「ヨハネによる黙示録」第18章、新共同訳)



というように、ここでは、地上の商人たちが売買していた商品が列挙され、その中に、絹の布が含まれている。

つまり、ふつう「絹」といえば、「なめらかな」といった印象を受けるが、聖書を元ネタにした作品の中では、それよりも、むしろ、上記のような、聖書の聖句に関係があると受け止めるのが普通。



また、レスターとフォーニアは、「ファーリー」という名前。
この「ファーリー」は、アイルランド系の名前のようだ。
ジェイムズ・ジョイスの作品に、ファーリーという人物が登場するが、関係ないと思う。


綴りは違うが、「ファーリー (Furry)」 という、「毛皮で覆われてフサフサした」様子を意味する英単語がある。



ということで、名前の意味を調べるよりは、聖書の元ネタを調べたほうが、わかりやすいと思う。
こういう話は、日本人には理解できないというよりも、聖書をふつうに読んでない人には理解できないと思う。



わたしの感想は当てずっぽうだから、ぜんぜん関係ない話を書いた可能性もある。
ただ、聖書の解釈に基づいた映画の見方だったら、なんとなく正しい気がする。
ということで、これからは、誰も読んでないというブログに、あまり細かいことは書かず、ただ、有料記事をたくさん増やして、誰かが読みに来ても、中身は買わないと読めない、という具合にする予定。



さっき、note.mu さんで、知らないユーザーの文章を読んでいて、 note で大人気の「ちゅうハヤ」さんを批判している人を初めて見かけた。
その人によると、一部のユーザーには、ちゅうハヤさんは嫌われているそうだ。
やっぱりね、普通に日記風の文章が書いてあって、途中からいきなり、「この続きは、有料です」とか、そういう note の作りが、反発されているもよう。
というか、彼らの炎上手法が嫌われている、とのこと。


わたしも、ただ誰でも調べられるような話を、わざわざ「有料です」なんて書いても、誰も買わないと思う。
もちろん、自分の文章も、だ。
だから、この先、読者が増えるとも思えないし、誰もこのブログを知らないみたいな感じだから、長々と独り言を書いても、ぜんぜん知名度も上がるまい。


ということで、この記事は映画の話だから、この話はやめまして。
やっぱり、興味のない映画作品を論じると、どうしても、ムダな話を書いてみたり、憶測が増えたり、そういう感じ。
もちろん、興味のある作品といわれると、あんまり無いから、仕方がない。


この映画よりは、「羊たちの沈黙」とかのほうが、評価が高いだけに、面白いだろうな。
やっぱり、ただ殺し合うだけの作品を、わざわざ表面だけ愛し合う人たち、みたいな映画に仕立ててても、なにがたのしいのか、わ
からない。
どうして、そんなことにお金を使うのか、わからない。

人は愚かなものだ、映画の製作者たちも、とか。
そんな物語にしか、ならないような。


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Theme: 映画感想 | Genre: 映画
Category: 映画と聖書


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