困るのは、時間がかかるからか

やっぱり、聖書の独学は、むずかしい。

さっき、ブラウザのタブを閉じるため、開いたタブのURLなどをテキストファイルにメモしていた。
Chrome の One Tab を使えば済むのかな?
履歴をメモしたかったので。
だけどぜんぜん減らない。
時間かかるし疲れる。
こんな感じで、ずっと前から、わたしには、やることがたまっていて、時間が無かった。


さっき、ウィキペディアのヘブライ語の説明ページを見て。
リンクをたどって。
いろいろな説明文を読んで。

ふと思った。
この世には、聖書は、意味が無い。
というか、あっても、仕方ない。
聖書に関する説明文を読むと、不快感を覚える。
大半は、ウソが書かれている。
もう、何と言えばいいのか、わからない。


イエス・キリストは、いなかった。
これは確か。

これから有料記事としてブログに書く予定。
最初に書くかも。
だけど、文献はあるのかな?
分からんな。



こんな感じで、世の習いを、ことごとく否定するわたしは、
どんな人だか、あなどられるばかりで、誰にも信じてもらえないかもな。
そんな感じで、おおかた予想はつけている。
ただ、わたしが言うから、とか、そういうのではなく、わたしの発言の中身が問題だ。
著名な人が、一言いうと、大騒ぎになりそうな話だ。
違うかしらん。


待て。
しかし、ヘブライ語を、今から勉強したんでは、死ぬまでに、間に合うのかな?
ヘブライ語なんか、むずかしすぎて、習得できんわ。
ギリシャ語も、わたしは聖書の原典とおぼしき古代ギリシャ語を知らない。
だから、学術的な本は書けない。


さて。
しかし、これは確かだ。
わたしは、文献をあさって読んでも、見当たらなかった聖書の読み方を、これから論じる。
誰も知らないかは、別だ。
ただ、ちまたの本に、書かれていない、聖書の読み方が、だ。


なんで、イエスが実在しなかったことは、わかる、とか、
そういう人が、ほとんどいないんだろう?
わからないな。
つまり、聖書の記述を真実として受け止めている人が多いのか。
なんで、あんな矛盾だらけの本を、そのまま信じるんだろうか?
たしかにわたしは、聖書の精読をはじめる前は、イエスもペトロらと同様、実在したと思っていた。
今は、いなかったと思う。
それは、彼が生前、なにも書き残してないことから、明らかだ。


聖書学者は、目が見えない。
ペトロはギリシャ文字が書けなかったのか、手紙を代筆させている。
だが、彼は実在した。
問題は、イエス。
どこにもいなかったから、何も書き残してないのだ。
これは、聖書の学者なら、なんとなく推察できて、しかるべきだ。
原典をたどる彼らが、なぜ、そんな簡単なことで、つまずくのか?



ヘブライ語にいたっては、誰も信じないと思うが。
旧約聖書は、謎だらけ。
まさに、ウソばっかり書いてあるように見える。
そうして、それが、正しい読み方だと思う。


旧約聖書は、簡単な話が積み重なって出来ている。
ただし、簡単なだけに、たいして深読みする人がいない。
これがカギだ。


「ヨハネによる黙示録」は、旧約聖書の読み方を研究した、小僧みたいなのが書いた。
しかし、彼による旧約聖書の読み方は、通説としても、どこにも残されていない。


さて。
こんな話、ひとりで書いても、仕方ないな。
どうせ、誰も信じないだろうしな。
こんな簡単な話…と、言いたいところだが。


立花隆は、むかし、旧約聖書をヘブライ語で読んだそうだ。
へ~え、それは大したウソつきだ。
そんなもん、よほど賢い人でないかぎり、母国語でないと、ヘブライ語なんか、習得できない。
よっぽどウソつくのがヘタなんだろう、彼は。


クリスチャンでも、ヘブライ語で旧約を読む人は、まれだと思うな。
聖書を読むのが当たり前のクリスチャンでも、だ。
その辺の異教徒が、ヘブライ語で旧約を読むわけがない。


読みたくないな~。


新約聖書も、さっき読んだウェブページで、なんか、「ええ?」と思える話が書いてあった。
そしたら、やっぱり、ヨハネが書いた書巻だ。
ムカつく、アホのヨハネめ。
どうせ、なにか、ウラがあるに違いない。。


どうするかな。
いまから、古代ギリシャ語の勉強なんか、する気にならんな。
しかし、福音書は、コイネーで書いてある。
困ったな。
なんか、簡単すぎるとおもったら、言語的な遊びが含まれているとは。
ムカつく、アホのヨハネめ。


どうせ、ヨハネなんか、ギリシャ語が母語じゃないとか、聖書学者に指摘されてんだよ。
あんまり、ネイティブスピーカーみたいな書き方では、ないらしい。
それなら、無視してやりたいよな、ヨハネのギリシャ語なんか。


とか、そんなささいな話が積もって、
聖書の話、ブログに書く気が、無くなってきた。。
というか、聖書の勉強、する気が、無くなってきた。


忙しくなるしな。
おうちの片づけを再開するから。


どうしよう。
もう、こんな感じで、自分の聖書の学習記録を、備忘録みたいにして、書き残すだけにするか?


いいアイデアだ。
それでも、やはり、有料記事として書く。
難しくないけど、自分がかわいそうだから。


聖書学の先生がたには悪いが、わたしのほうが、早く、聖書を読めるようになると思う。
まだ、言語の習得が、残ってるから、謙遜してるだけ、なんですが。


イエスはいなかったし、誰それは、いなかった。
もう、書く気が、無くなってきた。。
説明を、するのが、面倒に、なって、きた。


早い話が、読む人が、先入観を打ち砕かれて、ちゃんと納得するような話を書くのが、しんどい。
面倒。
イヤになった。


頭がいい人に読ませるのは、簡単かもな。
細かく説明するの、イヤだ。


映画の裏読みとかもそうだが、カンに頼る部分が大きい。
理屈で、説明できるかな?
分からんな。
どうせ、ヨハネの教団だ。
ヨハネが、先生だ。
なれば、イエスは、いたとしても、傀儡の王様で、何もしなかったのと同じだ。
ということで、その辺で、見切りをつける。


どうせ、誰も知らんのだろ。
こんな話。


説明する気が、無くなった。
わ~い。
こんな話、お金になるかどうかよりも、書く気になるかどうか、だ。


イライラするな~。
観察するのは、難しくない。
どうすれば、相手に伝わるか?


ヘブライ語は、無視して、日本語訳だけで、説明するか。
簡単だ。
だって、ヘブライ語の遊びの部分を無視して、読める部分だけ、読めばいいんだから。
しかし、旧約聖書は、言語的な遊びが重視されてる感じがするから、ヘブライ語で読まないとダメかもな。
困ったな。


神は、わたしが、聖書の本を読む時間を、与えてくださるか?
そこからだ。




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