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さっき、ふと、映画『戦場のメリークリスマス』について、個人ブログでの感想などを、読みました。
わたしの note.mu での日記で、いつのまにか、デビッド・ボウイ死去の話を書いたページが、一番アクセス数が多くて、グーグル経由じゃないだろうなあとは思いつつ、いちおう確かめてみた。
デビッド・ボウイ などのキーワードでは、ぜんぜんヒットしない。
よかった。
というか、その代わり、たくさん出てきた戦メリ関係のページを、読んでみた。


わたしは、この映画は、ずいぶん前に、一度だけ、テレビで観たことがあるだけだ。
確かそうだ。
いつごろだったっけ?
すっかり忘れた。
この前、NHKのBS3で放送した際に録画はしたが、まだ観てない。


わりと映画に詳しそうな一般の人の、映画の感想を読んで、大したことは書かれてなかったが、当時、わたしはこの映画についてほとんど知らず、ずいぶん後になって、テレビ放送で初めて観た。
それで、この映画の原作も知らないし、全然、わからない。
こういう状態で、ほかの洋画などの話をすると、だいたい、あてずっぽう、ただの憶測に過ぎない、ということがわかる。
つまり、わたしの書いていることは、大半が、アテにならない。


それは、わたしのような無料で記事を公開している個人ブログの筆者には、大して批判にはならないとは思う。
じっさいプロの映画評論家などになったら、おしまいだ。
たいてい、映画評論家さんたちは、本物の映画オタクで、ものすごく映画に詳しい。
だから、わたしみたいな雑魚が、ちょろっとテキト~に映画について書くと、とっても迷惑ではある。


聖書についても、あまり変わらないかもしれない。
ただ、映画とぜんぜん違って、聖書は、各書巻の筆者が誰か、といった論争すら、まだ決着がつくはずもない状態だ。
だから、わたしの憶測だけでなく、たいていの聖書研究者の説も、アテにならない。
ゴールは、それぞれ違う。
しかし、スタート地点は、明らかに、雑学レベルのわたしのほうが、質が低い。
これは、確かだ。


今さら、自分で自分を否定するようなことを書くのはバカげているが、
このブログ、実際、誰もアクセスしない。
楽しみなのは、この後、誰も、このブログを本当に読んでいない場合だ。
それならわたしは、堂々と、ブロマガ形式で、有料記事を書いて、そのまま記事を電子出版すなわち電子書籍化して売ることができる。
そのほうが、自分には、メリットが多い。
ぜんぜん知らない人が、自分を嘲笑しているとか、見下しているとか、そういう思い過ごしは、もう、やめることだ。
今さら、そんな被害妄想めいた作り話は、誰にも通用しない。


わたしが、自分で自分を否定するのは、たいてい、わたしがあんまり聖書を読んでないから、とか、聖書学の本を読んでいないから、とか、実際の研究の量。質よりは量による。
つまり、ただへりくだっているのではなくて、現実に、研究ばかりしている学者さんたちが、いかに聖書に詳しくても、わたしは彼らの専門知識など、ぜんぜん知らない。
くらべものにならないと思うな。
だから、わたしが聖書の読みかたを論じるのは、間違っているかもしれない。




今日はまた、ぜんぜん違う角度から、聖書の読みかたを、自分の頭の中で考えていた。
これは、さすがに、誰も思いつかないな、というような、読みかたを。
だけど、さすがに、自分でも、自信がない。
まだ聖書の該当箇所を読み直してないが、いざ読んだら、バカげた思い付きだと思うだろう。
今日は、たぶん、この聖書の読みかたが、一番、自分を挫折させている原因だと思う。


だけど、「戦メリ」について、わたしが当時の情報を全く知らないのは、事実だ。
だから、カンだけで映画の解釈を論じたら、どれだけ間違うか、という、格好の例にはなりうる。
ただ、誰も悪役でないのは間違いない、あの映画は、ただ、戦争礼賛みたいな、バカげた映画ではある。
誰もそんなこと、たぶん、ふつうの日本人は、映画の感想としては、書いてないとは思う。
だけど、結局、映画の中で、日本兵が、死ぬほど恥をかくシーンなど、どこにもなかったはず。
あれは、第二次世界大戦で、世界中に憎まれ、大恥をかいて沈没した、日本軍の話だ。
誰が、そんな戦争の映画に見える?
だから、たとえあの作品のスタッフ、キャストが、あの作品を特別に愛して礼賛しようと、あんな作品は、雑魚だ、と、こういう感覚で論じる人が、いてもおかしくはない。
戦争を美化するのは、間違っている。
だから、あの映画は、おかしい。
これは、わたしの持論だ。
第二次大戦で、日本が大負けして、世界中に笑われた、その事実を、この国は、ほとんど映画化していない。
国が悪いのか、人間が悪いのか?
たぶん、どちらもだ。
それで、わたしがまっとうな説を述べると、日本人には、嫌われる。
だけど、世界中で、それほど日本人を愛していない人たちの間で、同じ事を述べると、共感というか、賛同してくれる人は、いるだろう。
母国を憎むバカ、とか、それほど単純な言われ方は、しないだろう。


戦メリは、ちょうどデビッド・ボウイが現実に死んだから、録画したのを観なおして、少し何かブログにでも書こうかと思ったんだが、冒頭で、バカが切腹して、みたいなシーンをちょろっと観ただけで、わたしの頭の中のどこかが猛反発して、もう、これ以上は、この映画は観たくないな、と思った。
あのシーン、前に観たかな?
なにしろ、これまできちんと観たことがあるのは、1回だけだ。
マジ、こんなやつ、映画について、論じる権利なんか、なさそうだな。



しかし、悪趣味な映画について、わたしはいろんな作品について、これまでいろんなブログで論じたことがある。
だから、あのシーンくらいで、イヤがるのは、アホではある。
忙しい中、時間をさいて観ようと思ったから、それで嫌気がさしたのだろう。


しかし、今は、映画よりも、聖書を読み直そうと思う。
きょう思いついた聖書の読みかたは、たぶん間違っている。
だけど、もし、万が一にも、本当に、その読みが正しい場合は、誰も聖書を読めない、というわたしの説は、確実に、この世が終わるまで、真実のままだ。
たぶん、世の人々の誰ひとり、聖書を読めない。
いや、冗談じゃなくて、たぶん、間違っているから、言わんでいいんだけど、こんなこと。
う~ん、どうかな。
あくまで仮説だ。
しばらく新約聖書も読み直してないから、久々に読んで、どう感じるか、楽しみだ。
もし、たとえ今日思いついた聖書の読みが間違っていても、何か得るものはある可能性がある。


だけど、このブログは、誰も訪問して来ないし、こんなところでこんなこと、書いても仕方ない。

ただ、聖書を改めて読んでみて、自分の読みかたがどうか、まったく憶測の域を出ず、自分で間違いだったと落胆するか、それとも、これまでの読みはさほど間違っていないと確信するのか。
聖書を読んでみてから、のたのしみだ。

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Category: 日記


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